日本国憲法では第3章の「国民の権利及び義務」で、国民の様々な権利や自由について規定されています。
では、外国人の場合は、これらの権利や自由は保障されるのでしょうか?
外国人は日本国民ではないため、憲法で保障されている国民の権利が、外国人にも等しく及ぶのかどうかが問題になります。
この記事では、最高裁判所の判例を中心に、外国人の人権がどの程度まで保障されているのかについて分かりやすく説明しています。
自由権
最初に覚えておきたいのは、「権利の性質上、日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、日本に在留する外国人に対しても等しく保障される」ということです。
いわゆるマクリーン事件(最大判・昭53.10.4)の判例で示されており、通説ともなっています。
したがって、外国人の人権については、全ての人権が保障されるわけではなく、人権の性質に照らして逐一判断されるということになります。
逆に言えば、権利の性質によっては、外国人の人権が制限されてもやむなしということです。
では、どういった場合に外国人の権利が制限されるのでしょうか。
この問題について、まずは自由権から見ていくことにします。
入国の自由
外国人の入国の自由については、国際慣習法上、入国・在留を認めるかは国の裁量に任させており、基本的にその保障は及ばないとされています。
例えば、日本に入国する外国人が国際的テロリストであったり、凶悪な犯罪の経歴があったりすると、特段の事情がないかぎり、その者の入国を許可するのは妥当ではないでしょう。
関係する当局との調整や報告が必要となり、日本国内の治安維持のためにも、政府が入国するに妥当でないと判断した外国人に対して、入国拒否をするのは仕方のないところです。
再入国の自由
外国人の出国の自由はどうなっているのでしょうか?
最大判・昭32.12.25では、憲法22条2項の「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」の規定は、その権利の性質上外国人に限って保障しないという理由はないとし、外国人にも出国の自由は認められるとしました。
しかし、出国した後に再び入国する(=再入国)自由については、争いがあります。
これは、日本で在留資格を得た外国人が、その在留期間が終了する前に再び入国するというケースです。
在留期間内に一時帰国したり、あるいは海外旅行をした後に、再び日本に入国するような場合です。
判例では、マクリーン事件(最大判・昭53.10.4)、森川キャサリーン事件(最判・平4.11.16)ともに、外国人の再入国の自由は、憲法上保障されないとしています。
日本に在留する外国人は、日本に在留する権利、または引き続き在留を要求する権利が憲法上保障されておらず、さらには外国へ一時旅行する自由も保障されてはいないと判示されています。
ただし、これらの判例に対しては、批判もあります。
在留外国人はすでに日本に生活の基盤ができあがっている場合が多いはずです。
それを考慮せずに、一般の外国人と一律に同じように扱うのは、妥当じゃないよね?おかしいよね?という疑問が生じてもおかしくないでしょう。
なので、在留外国人にも再入国の自由を保障すべきという学説・見解も多いということです。
政治活動の自由
外国人の日本国内における政治活動は憲法上保障されるというのが、判例の立場であり、通説的見解となっています。
ただし、外国人の政治活動には一定の限界があると、判例で示されています(マクリーン事件 最大判・昭53.10.4)。
この判例では、日本国内において外国人は日本人と異なる事情があるため、日本の政治意思決定、あるいはその実施に影響を及ぼす活動などは認められないとしています。
さらに、判例では、在留期間中の政治活動によって、在留期間の更新の際に、その政治活動を理由として、本人を不利益に取り扱うことも問題はないと判示しています。
在留資格の認定を行うのは法務大臣となりますが、例えば在留中の外国人が日本国内で政治活動をした場合、法務大臣がその活動を理由として在留更新の申請を許可しないこともできるということになります。
しかし、この判定は批判の声が多いというのが現状のようです。
もちろん、治安維持の関係から、行き過ぎた政治活動に規制をかけるのは仕方がない面もあるかと思います。
また、日本国民の権利を守るために、外国人の権利を制限する場合があっても、やむを得ない場合もあるでしょう。
ですが、一定の範囲で政治活動はしても大丈夫としておきながら、その後に、その政治活動を理由に在留資格更新が拒否されるというのは、合理性に欠けるという意見があります。
そういう状況の下では、外国人も政治活動に対して委縮してしまう可能性は大いにあるでしょう。
以上から、事実上、外国人の政治活動を制限するすることになるのではないか?という疑問が多いということです。
指紋押なつを強制されない自由
指紋押なつを強制されない自由と言うと、長いタイトルで、何やら小難しい感じがしますが。
これは、在留外国人を容易に特定できるようにするため、指紋押捺制度という外国人の指紋を強制的に採取する制度があり、これが人権を侵害するものではないか?ということが問題になったものです。
具体的には、憲法13条「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重必要とする。」という規定に違反しないかどうかが争われました。
判例(指紋押なつ拒否事件 最判・平.7.12.15)は、まず、指紋は個人の自由と密接な関連を持つので、個人の私生活上の自由として、指紋押なつを強制されない自由は、憲法13条で保障されるとしました。
そして、この自由は、日本に在留する外国人にも等しく及ぶとしています。
しかし、指紋押なつ制度自体は、目的に合理性と必要性が認められ、その方法も一般的に許される限度を越えない相当なものであるため、違憲ではないと結論づけられました。
また、ここでは、憲法14条1項の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という、いわゆる「法の下の平等」原則も関わってきますが、この点でも違反しないということになります。
ただし、この判例の見解には批判の声もあり、判決の前から指紋押なつ拒否運動が相次ぎ、政治問題化したという経緯があります。
政治問題について深く立ち入ることは避けますが、外国人登録法が改正され、指紋押捺制度は一度廃止されました。
ですが、政府は、2001年9月のアメリカ同時多発テロの勃発や外国人による犯罪の増加といった情勢を考慮し、2006年に出入国管理及び難民認定法の改正を行っています(2007年施行)。
この改正により、特別永住者などの一部の外国人を除き、日本に入国する外国人に指紋と顔写真を提供することが義務付けてられています。
選挙権
選挙権について、まず国政選挙については、権利の性質上日本国民だけに認められ、外国人にまで保障されないと一般的に解されています。
憲法の国民主権の原理からして、国民でない外国人に、国政の在り方を左右する国会議員の選挙権を与えるのはふさわしくないと考えられるからです。
これに対して、地方選挙権については事情が異なってきます。
判例(最判・平7.2.28)では、地方公共団体は国の統治機構の不可欠の要素となるので、憲法上、地方選挙権も日本国民にのみ認められ、外国人には保障されないと判示しています。
ただし、地方選挙権に関しては、永住者などの一定の外国人に、法律で定めて選挙権を与えるなどの措置をしても大丈夫だよ!としています。
この場合、当然ですが、そういう措置をしなかったからといって憲法に違反するということはありません。
地方選挙権を在留外国人にも認めるべきか?については、学説でも見解が分かれており、日本の政党も大きな意見の対立があるようです。
公職就任権
外国人が公務員になれるのか?が問題となることがあります。
まず、国家公務員については、外国人は原則としてなれないとされています。
国家公務員は国家権力の行使や国家の運営に関わることが多く、外国人が国家公務員になると、国政に悪影響が発生してしまう可能性があるため、制限されることは妥当であると考えられています。
一方、地方公務員に関しては、各自治体の判断によって、認められる場合もあれば、許可されない場合もあります。
各地方公共団体ごとに状況が異なるので、地方によって取り扱いが違ってくるのは仕方のないところでしょう。
また、一口に地方公務員といっても、職種により仕事内容は異なります。
そのため、どの程度の職務まで、外国人が就任できるのか?か問題になってきます。
この点、学説では、非管理的・非権力的な職務は国家主権の独立性を侵害せず、地域住民との関わりにも大きな影響を及ぼすことはないので、外国人の就任を認めても問題ないよね!という見解が有力となっています。
逆に、公権力を行使し、地方公共団体の重要な政策に関する決定を行う職務(=公権力行使等地方公務員と言います)については、意見が分かれています。
判例(東京都管理職選考試験事件 最大判・平17.1.26)では、「原則として、日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべき」としています。
ただし、この判例は、在留外国人が地方公務員に就任できるか?を正面から判断しているわけはありません。
地方公共団体が、日本国民である職員に限って管理職に昇任することができるという措置をとることが違憲かどうか?が争われた事案です。
判例の結論は、管理職に就任すれば、いずれは公権力行使等地方公務員に就任することが当然の前提になるとし、管理職に昇任するための要件として日本国籍を有する職員であると定めたとしても、合理的な理由に基づく区別であり、憲法14条1項に違反しないとしています。
憲法14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定められています。
いわゆる「法の下の平等」が定められていますが、上記のような管理職に昇任できるのは日本国民のみという措置をすることも、法の下の平等に違反しないということです。
ですが、職員の職務内容が自治体によって多種多様であることを考えると、形式的に管理職であるかどうかということだけで判断するのは現実的ではないのでは?という疑問の声も多くあります。
例えば、公権力の行使を伴わず、部下の管理監督も行わない地方公務員でも、処遇の面で管理職と同じ扱いを受けているケースもあります。
地域の事情や時代の潮流によって、地方公務員の職務も変わってくることでしょう。
そのため、外国人の公職就任権については、今後も大きな争いが予想されるテーマと考えられます。
社会権
憲法25条は、1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めらており。
2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定されています。
この条文で定められている権利は、一般的に社会権と呼ばれています。
この社会権が、外国人にも保障されるのかが問題となってきます。
まず、在留外国人を障害福祉年金の支給対象者から外すことが許されるかどうかについて、判例(塩見訴訟 最判・平元.3.2)では、政治的判断により、限られた財源から福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うとも許されると判示しています。
したがって、そのような措置も憲法に違反しないということになります。
また、最判・平26.7.18では、生活保護法について、永住外国人は適用対象ではないと判示しています。
基本的に、外国人は行政措置による事実上の保護対象にとどまり、生活保護法による受給権はないとされました。
ただし、生活保護の審査自体は外国人と日本人とで区別されてはおらず、実際には多くの外国人が生活保護を受けています。
ちょっと話がややこしくなりましたが、要するに、社会権は基本的に外国人には保障されず、社会福祉政策で外国人を保護するかどうかは行政府の広い裁量に任されるということになります。
これらの判例に対しても、もちろん批判の声はあり、日本人と変わらずきちんと生活してきた者には、法律上の保護を認めてもよいのでは?という見解もあります。
請願権
憲法16条では、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」と定められています。
これは請願権と呼ばれ、簡単に言えば、国や地方公共団体に対して色々な希望を述べる権利のことです。
条文に「何人も~」とあることから、当然、日本国内の外国人にも請願権は認められています。
まとめ
以上解説したように、憲法で外国人の人権がどこまで保障されるかについては、権利の性質を考慮して、ケースバイケースで判断されます。
判例と通説を主に紹介しましたが、その判断に異論や批判があるのも事実です。
特に現在は、世界が大きくグローバル化しているので、以前の考え方が時代にそぐわなくなっている面もあります。
判例や学説も、これから変わっていく可能性はあるでしょう。