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プログラム規定説を分かりやすく説明しました!憲法25条の生存権の性質とは?

憲法
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憲法第25条の生存権に関する議論の中で、「プログラム規定説」という考え方があります。

難しそうな響きがしますが、プログラム規定説自体の定義や内容はそれほど難しいものではないと思います。

ただ、この考え方に関する学説や理論は複雑で、なかなかにややっこしいものがあります。

そこで今回は、プログラム規定説をわかりやすく説明するとともに、生存権についての学説や判例についても詳細に解説していきます。

プログラム規定説とは?

プログラム規定説を一言で説明すると、憲法25条は単なる政治的宣言にすぎないとする説です。

憲法25条1項では

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

と規定されています。

一般的に生存権と呼ばれますね。

プログラム規定説は、この25条1項の規定は、国が国民の生存を保障するための政治的及び道義的な義務を負うことを定めているものの、それに留まるという考え方となります。

そのため、個々の国民に対して具体的な権利を保障したものではなく、国に対して請求できる法的権利ではないとされます。

これは判例の立場であり、現在もこの考え方は変わっていません。

プログラム規定説をとった判例は、朝日訴訟(最大判昭和42・5.24)が重要です。
判決の内容は次のようなものです。

当時の生活扶助費が、健康で文化的な最低限度の生活を維持できるかどうかが争われた事件。
上告中に原告が亡くなり、訴え却下となりましたが、「念のため」として傍論として以下のように判示しました。

  • 25条1項の規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものでではない
  • 何が「健康で文化的な最低限度の生活」であるかの判断は、厚生大臣の裁量に委ねられており、その判断は当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生じることはない

このように判例はプログラム規定説を採用していますが、法律を学習し始めた方は違和感をおぼえるかもしれません。

25条1項の文言からしても、客観的な最低限度の生活水準を設け、その実現のために政府は責任を負うのが筋ではないかと。
実際、私も大学の憲法の授業で習ったときは、何故こんなまどろっこしい説があるのか不思議に思ったものです。

そして、当然のようにプログラム規定説に対する批判は存在し、学説も法的権利性は認めるべきだとする見解が有力となっています。

朝日訴訟の第一審判決でも、厚生大臣(現在の厚生労働大臣)の生活保護基準の設定が健康で最低限度の生活水準を維持するものでないときは、憲法25条に反するとして違憲になる余地を示しています。

具体的権利説と抽象的権利説とは?

前述のように、学説では憲法第25条の生存権に法的権利性があるという主張が支持されています。

ですが、その解釈には二つの異なる立場があります。

1つは具体的権利説と呼ばれるもので、25条1項は個人が裁判所に直接救済を求める根拠になるとされています。

ただし、法的権利性を認めるとしても、25条1項の文言が抽象的で不明確であるのは否定できないところです。
そこで、生存権は具体的な権利でなく、抽象的な権利であるという説が有力となっています。

これを抽象的権利説と言います。

この解釈によれば、憲法第25条1項をもって直接裁判所での救済を求めることはできません。
救済を受けるためには、まず具体的な法律が制定される必要があり、その後に初めて裁判所に対して救済を請求することが可能になるとされています。

また、もちろんですが、どちらの説も国に対して生存権を実現するための法的義務があるとしている点は同じです。

憲法25条1項と2項の関係は?

憲法25条2項は

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

と規定しています。

25条の1項と2項に関しては、「1項2項二分論」という考え方があります。
これは堀木訴訟の控訴審判決(大阪高判昭和50・11.10)で判示されたものです。

この理論によると、まず1項は救貧政策を指していると考えます。
具体的には、すでに貧困に陥っている人々を救助する政策を示しているということです。

対して2項は防貧政策と考えられ、貧困に陥る可能性がある人々を事前に支援する政策を表しているとされます。

そして、2項の政策に関しては立法府の広い裁量が認められると解釈しています。

しかし、この考え方は、いくつかの下級審判決では受け継がれたものの、上告審では採用されませんでした。

1項2項二分論に関しては学説からの批判も多く、25条の1項と2項を不可分のものとして捉えるべきだとする意見が多いです。

法律を初めて学ぶ方にとっても、二つの項を分けて考えるのは不自然に感じられるかもしれません。

わざわざ1項と2項を分けて、それぞれが別々の機能を持つというのは、かなりテクニカルな印象を受けるのではないでしょうか。

ただ、憲法は国の最高法規であり、そこに記されている文言は慎重に判断する必要があるのも事実です。

そのため、このような条文の解釈は様々なケースで問題となります。

1項2項二分論は一般的には受け入れられているものではないですが、このような考え方もあるということは押さえておいた方がよいでしょう。

まとめ

以上のように、プログラム規定説の内容自体はそこまで難しいものではないと思います。

ですが、憲法25条の解釈についは争いがあり、その全体像をつかむのは簡単ではないかもしれません。

また、憲法の条文については、たびたびその文言をどのように捉えるのかが問題になります。

プログラム規定説も、その一環として理解しておくのがよいでしょう。

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