法律用語には、「取消し」と「撤回」という言葉があります。
どちらも一度成立した事柄を無効にするという点で共通していますが、その効力が発生する時点などに大きな違いがあります。
特に行政学で重要な概念となります。
民法などの他の法律分野でもほぼ同じ意味で使用されますが、この記事では特に行政行為の取消しと撤回に焦点を当てて詳しく説明します。
行政行為の取消しと撤回の違いとは?
行政行為の取消しも撤回も、その効力を失わせるという点では同じです。
ですが、両者には次のような違いがあります。
- 取消し:行政行為の成立時に瑕疵があるため、その行為がなされた時に遡って効力を失わせる
- 撤回:瑕疵はなかったが、その後の事情の変化により、将来に向かって効力を失わせる
要するに、行政行為の効力を最初からなかったものにするのか、将来に向かってないものとするのかという違いがあるということです。
なお、ここでの瑕疵(かし)というのは、欠点や傷という意味で、法律上何らかの問題があることを指します。
つまり、行政行為が違法なものだったり、不当なものであった場合、その行政行為に瑕疵があると言います。
この行政行為に瑕疵があるかどうかも、取消しと撤回の大きな違いとなります。
また、法律の条文などで「取消し」と表現されている場合でも、実際には「撤回」の意味で用いられていることがあるので、注意が必要になります。
行政行為の取消しとは?
まず、行政行為の取消しについて説明します。
前述したとおり、行政行為の取消しとは、行政行為が成立した時点で存在していた瑕疵に基づいて、その行政行為の効力を失わせることです。
この場合、行政行為の効力は成立当初から遡及的に消滅します。
つまり、行政行為が最初から存在しなかったかのように扱われ、基本的にその結果として生じた全ての事態が取り消されることになります。
ただし、行政行為に瑕疵があったとしても、「重大かつ明白」なものではなかったときは、その行政行為は一応有効なものとして扱われます。
重大かつ明白な瑕疵とは文字通りの意味ですが、誰から見ても大きな違法性があるのは明らかというイメージです。
そのような瑕疵のある行政行為は取消しを待たず、最初から無効となります。
ですが、重大かつ明白な瑕疵が見当たらない場合は、行政行為は取り消されない限りずっと成立したままということになります。
そして、行政行為の取消しは、以下のように「職権による取消し」と「争訟による取消し」の2つがあります。
職権による取消し
職権による取消しとは、行政庁自らが行政行為の違法性や不当性を認め、相手方の申し出を待たずに行政行為を取り消すことです。
例えば、ある飲食店が衛生基準に違反したとして、保健所が営業停止処分を行いましたが、実はこの処分が誤った情報に基づいて行われたことが明らかになったとしましょう。
この場合、保健所が営業停止処分を下したときに、その処分自体に瑕疵が存在することになります。
そして、保健所がこの事実を認めたとき、保健所を管轄する自治体等がその処分を職権で取り消すことができるということです。
争訟による取消し
もう一つ、争訟による取消しがあります。
これも文字通りには、争訟によって取消しを求めるという意味です。
つまり、行政行為の相手方が行政行為の違法や不当を理由として、行政庁に不服申し立てをして取消しを求めることになります。
また、行政行為の違法を理由として、裁判所に訴えを起こして取消しを求めることもできます。
要は
- 処分を行った行政庁(あるいは取消し権を持つ行政庁)
- 裁判所
に取消しを求めることができるということです。
さらに、行政庁に申し立てをしている間に、裁判所に訴えを起こすということもできます。
ただし、審査請求前置主義というものがあり、一部の法律では行政庁の不服申し立て(審査請求)の採決を経た後でないと、裁判所に訴訟を持ち込むことができないというケースもあります。
例えば、生活保護法では審査請求前置主義が採られています。
生活保護の申請をしたけれども認められなかった場合、その処分の取消しを求めるには、まずは該当する自治体に審査請求をしなければいけません。
この場合は、いきなり裁判所に訴えを提起することはできないということです。
このように個別の法律によって、裁判所に取消訴訟を提起する前に行政庁に審査請求を行うことが義務付けられているケースもありますが、基本的には行政庁や裁判所に対して取消訴訟を選択的に、または同時に提起することが可能です。
行政行為の撤回とは?
行政行為の撤回とは、行政行為の成立時には瑕疵がなかったものの、後に発生した事由により、将来に向かってその効力を失わせる処理です。
撤回された行政行為は、撤回されるまでの期間は有効ですが、撤回後はその効力を失います。
行政行為自体に問題があったわけでないということと、将来に向かって効力が消滅するという点が、取消しとの大きな違いです。
よく紹介される例としては、運転免許の撤回があります。
一般的な用語として、また法律上の文言としては「運転免許の取消し」と表現されますが、行政学の学問上の用語としては実は「撤回」に該当します。
先述したように、「取消し」と表現されている場合でも、「撤回」の意味で用いられることがあります。
運転免許の取消しはその典型的な例ということです。
さて、運転の許可、すなわち運転免許が交付されたときは、その相手方も免許を適法に取得したものであり、そこに何の問題もありませんよね。
ところが、後に交通違反などを起こしてしまうと、運転免許を取り消されることがあります。
運転免許の取消しは、免許を取得した後の事情によって、免許の効力を将来的に失わせることです。
この場合は、運転免許の交付時に遡って効力を失わせるものではなく、交通違反などの事由によって将来に向かって免許の効力がなくなるというわけです。
これが行政行為の撤回という概念になります。
なお、行政行為の撤回ができるのは、原則としてその行政行為を行った行政庁となります。
監督行政庁が撤回できるときもありますが、これは法律で明示されているときのみです。
取消しと撤回はいつでもできる?限界はある?
行政行為の取消しや撤回は、当然のことながら、現在の法律関係や事実関係に変更をもたらします。
そのため、どのような時に取消しや撤回が行えるのか、また、その際の制限は重要な問題となります。
いつ何時も取消しや撤回ができるとすると、国民の法的地位が不安定になり、私人の権利が侵害される恐れがあります。
したがって、行政行為の取消しと撤回には一定の限界があると考えられています。
法律の特別の根拠は必要?
まず、法律の特別の根拠は必要か?という議論があります。
これについては、取消しも撤回も、法律の特別の根拠は不要というのが一般的な見解です。
取消しは、瑕疵ある行政行為の効力をなくし、本来あるべき適法な状態を実現させる行為なので、わざわざ法律の特別な根拠は必要ないと考えられます。
また、撤回についても、後発的事情の変化、特に私人の行為が撤回の原因となるため、行政庁が撤回を行っても私人の権利を侵害することにはならないと考えられています。
これは先の例であげた運転免許の取消し(撤回)を考えると分かりやすいでしょう。
一般的には免許を保有している私人が交通違反などを犯した場合に、免許が取り消されるのがどうかが問題になります。
つまり、免許の撤回という原因をつくったのは違反をおこした私人です。
したがって、撤回によって状況が変化しても、その責を負うべきは当の本人であるため、私人にとって大きな人権侵害にはならないというわけです。
もちろん、これには異論もあるようですが、撤回に法律の特別の根拠は必要ないというのが判例・通説の立場です。
どのような行政行為だと取消し・撤回ができる?
続いて、どのような行政行為が取消し・撤回の対象となるのか?が問題になることがあります。
行政行為に取消しや撤回の事由があるときは、取消し・撤回できるのが基本です。
とはいえ、過去に積み重ねられた法的・事実的な関係を無視することはできず、無制限に取消しや撤回を行うと国民の法的地位が不安定になり、ひいては行政への信頼を損なうことになりかねません。
そのため、行政行為の性質によって、取消しや撤回が可能なものとそうでないものがあると一般的に考えられています。
まず、侵害的行政行為については、自由に取消し・撤回ができると考えられます。
簡単にいうと、国民の権利を侵害するような行政行為は、それを取消し・撤回しても、国民にとって不利益にはならないので可能であるということです。
例えば、先の例でもあげた営業停止処分は侵害的行政行為に該当します。
営業停止処分を言い渡されたお店は営業することはできませんが、営業停止処分が取り消されると、お店は営業を再開できるという利益がもたらされることになります。
このような侵害的行政行為は取消しても、私人の権利を侵害することにはならないので、取消しは自由にできるということです。
一方で、授益的行政行為に関しては、取消し・撤回が自由にできない場合があると考えられています。
授益的行政行為とは、個人や企業に何らかの権利や利益を与える行政行為のことで、運転免許の許可や営業許可などが該当します。
一般的に、授益的行政行為は、法律に基づく明確な規定があるのが普通なので、取消しや撤回もその規定に従えば問題はありません。
例えば、運転免許の取消し(撤回)は、道路交通法にその基準が設けられており、都道府県の公安委員会によって行われる処分です。
この場合、法律の規定に則って適法に処分を行えば、当然その撤回処分は有効に成立することになります。
問題となるのは、法律に直接明文の規定がないケースです。
この場合は、相手側の法的安定性や行政に対する信頼を守るという観点から、取消しや撤回は慎重に行われるべきであり、一定の制限が課されると考えられています。
ただし、相手方が被る不利益を考慮しても、公益上の必要性があるときは、授益的行政行為であっても取消し・撤回することができるというのが、判例・通説の見解となっています。
まとめ
法律用語としての「取消し」と「撤回」は重要な概念ですが、一般的な用語の使い方と感覚的な大きなズレはないものと思います。
おそらく、日常用語の意味がそのまま法律用語に反映されたのだとも考えられます。
ですが、法律上の取消しと撤回の特徴や、それに伴う制限については複雑な部分があるので、この機会にしっかりと押させておきたいですね。